無垢な子供と、大人の錯綜 (ジレンマ)
 


陽の落ちる刻限が随分と早くなった。
うっかり何にか無心に没頭していたら、
あたりはとっぷり暮れていて、吹く風もやや冷たくなっていて。
ああしまったと日中はお荷物だった上着を慌てて羽織ることとなる。
いつの間にやら虫の声も絶えた晩秋の港町は、
雨が続いた数日を払拭するような冴えた夜空を覗かせており。
どこか遠くから聞こえる汽笛が情緒を醸し、
ライトアップされたベイブリッジが
幻想的な色合いのライトをネックレスのようにまとっていて遠目にも麗しい。
場末というほど寂れちゃいないが、
見本市会場とそこへの搬入の勝手が良いよう埠頭近い立地なせいか、
陽の落ちた時間帯では静まり返っており、人の行き来どころか車の往来も少ない。
とある大きな展示会が間近いはずだが、一般公開のそれでなし、
宣伝も要らなきゃあ取材もむしろ迷惑な様子で、
余程の“訳あり”なのか、知る人以外には広まってもない代物。
大外の出入り口に警備関係者が詰めているものの、
広大な敷地内に幾つもある会場や倉庫群全てへの警備担当、
よってどれへか関わりがありますという身分証を提示すれば、
足跡は残るものの結構あっさりと通り抜けできる。
一見したところは外商系営業マンらしいスーツ姿だが、
カジュアルが過ぎての手套や帽子まで装備していることへも、
この時期だから、それとも仔細まで詮索するほど几帳面でなくてもいいゲートなのか、
見咎められることもないまま、むしろお疲れ様ですと愛想笑い付きで通過出来。
そういやウチのフロント企業の貿易系の商社もここの顔役だものなと、
そこのを取り寄せた偽装社員証をちらと眺め直し。

 さて、と

目星を付けてあった倉庫棟を目指すこととする。
気が急かないわけじゃあないが、駆け出すなんて無様はしない。
トンッと地を蹴ってその身を夜陰の宙へと躍らせれば、
重力ベクトルの操作により、やや遠い常夜灯の頭までをひとっ飛びで移動することが出来。
まさかにそんな移動をする侵入者など想定してはいなかろうから、
監視カメラの死角も良いところで、発見される可能性は皆無に近い。
二階家の軒先ほどはあろう常夜灯の頭に
止まり木扱いで着地すると、眼下となったとある建物を見下ろして。
一見すると管理棟か倉庫らしい低層の棟だが、
周辺には雑草も生い茂らずの整理されており、只の書類庫ではなさそうだし、
何より電網回線を取り込むための配線処理があって、
外部との連絡をイマドキのネットで出来るような建物だというのが判る。
ビジネスマンなら各自で端末を持つのがもはや常識化している昨今、
わざわざそんな対処が為されているということは、
情報流通稼働中、しかも基地化しているそれだと教えているようなもの。

 「怪しいのはお互い様だがな。」

途中までは飄々と、だが入ってからは異能に乗っかった人知を超えた足取りで
此処へまでひとっ飛びで辿り着いた自分へ ついつい苦笑。
この敷地内の一角で近々開催されようオークションというのは、
物流の正当性を表したいか届も出ており、
それによれば “宝飾品の展示と競売だ”と届けられているが、
それにしては選ばれた会場があまりに辺鄙で、
バイヤーにせよ富裕層にせよそこへと運ぶだろう客層にあまりに釣り合わぬ。
若しかせずとも怪しさ満載、足を運ぶことさえ伏せたいとしか思えない。

 「……。」

柔らかな曲線を描くつばが目許まで影を落としている帽子の、
その胴を手慣れた所作にて包み込むように押さえ込み。
いつもの癖にて ぐいと押し込むと
何てことのない一歩のよに、ふわりと宙へ身を躍らせて、
夜陰の中へ漆黒の装束ごと溶け入る彼で。
そんな段取りだと前もって知らなければ
そよと吹いた夜風としてさえ気づかれはしなかろう身ごなしで、
目的の建物の屋上部分へ舞い降りて。
濃色の帽子の縁から流れてのうなじを覆う赤毛を揺らめかせ、
醒めた月光が白く照らす 無機質なセメントの足元を、
何とも意味深に… ややシニカルに笑んで見下ろした幹部殿だった。



     ◇◇◇


南京錠をねじ切るなぞ、彼に掛かれば紙のこよりを切るのと同じ。
あまりに凝った戸締りはそこに御宝があると喧伝しているようなものだからとはいえ、
他愛なさ過ぎる錠前を開いて、
当然 明かりなど灯しちゃあいない無人の屋内へと踏み込む。
所蔵収納が目的な場所ではあるようで、
ソファーだの給湯施設だのという、人が滞在するための設備は成程 見当たらない中、
そのまま迷うことなく地下階層へ下りる階段へ向かう。
若しかせずとも警備用の監視システムは稼働中なのだろうが、
こんなレベルの手合いが設置するようなそれなぞ恐るるに足らぬ。
駆けつけたければ来ればいいと、鼻歌でも出て来そうな足取りで、
簡素なステップを降り、外観に比して随分と広々としたフロアになっている所蔵庫をゆっくりと見回す。
地下の収蔵庫には、書類などを並べるような書架型のユニットはなく、
その代わり、ペットショップか実験棟かという光景、
小さなものは腰までほどの高さのそれだが、
獣でも扱うものか鉄格子のはまった大きめの檻も幾つか、無機質な冷たさもて うずくまっており。
天井が高くとられてあるのは大きな物を搬入することもあることが見越されているのだろう。
その天井に添うて鉄骨製の足場が設けられていて、クレーンが稼働できるようにもなっている。
今幾つか据えられてあるそれらはせいぜい人の身長ほどの高さのものばかりで、
天井沿い、外からだと足元へと刳られた格好の小窓から
うっすら差し入る明るみが何とか届く程度だが、
昔流に言う“夜ばたらき”の多い身ゆえ、この程度なら支障はない。
薄汚れた毛布にくるまった子や、こちらを警戒心剥き出しに睨む子などの前を通り過ぎ、
何とはなしに口ずさむは、お気に入りの詩の一編。

 汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる

 汚れっちまった悲しみは たとえば狐の革裘(かわごろも)
 汚れっちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる…

途中で詠唱もどきの口を噤み、
大型獣でも収めるものか、結構大きい檻の前で、
名画でも鑑賞するかのように真っ直ぐに向かい合っての しばし佇んでから、

 「よぉ。敦じゃねぇか。妙なところで会うよなぁ。」

判ってた邂逅であろうに、意外な鉢合わせででもあるような言いようをすれば、
やや疲労困憊気味なせいでか ぼんやりした表情でいた少年が、
誰へか何へか嘆息をついたそのまま、吐息の延長のような呟きを返した。

 「中也さん…。」

片手だけ中途半端に上げたままなのは、
手首の枷が檻の天板部分へ鎖でつながれてあって下ろせないせい。
力なく座り込んでいる身には他に拘束具は架せられてはないようだけれど、
そんな不自然な格好では気も休まらないに違いない。
この時期の仕事用の身拵え、
シャツに膝下ズボンという格好の上へ薄っぺらな上着も羽織ってはいるが、
暴れた形跡かあちこち汚れているし、
あらわになっている前腕や頬にかすかに痣も見えており。
少年の異能の一部である“超回復”は、切った擦りむいたという傷には迅速に働くわりに
内出血には死ぬこたあるまいとでも思われるのか(誰に?) あまり発動しないらしくって。
それでも黒衣の幹部殿の胸中へ憤怒の熾火を起こさせるには十分すぎる代物だったりし、
平静を保とうとするあまり、ついつい奥歯に力が入りそうになる中也でもあって。

 「らしくねぇよな、実際。」

彼を捕らえてこんな待遇にしている連中は勿論だが、
囚われの身となっている当人へも納得しがたい感情が沸く。
こんなレベルの鉄格子なぞ、本気出した彼に掛かればさっくり刻めるはずだし、
そういった能力を見込まれておればこそ、
新聞を広げるレベルで何でも紐解ける名探偵の乱歩にかかれば
恐らくはこの場所も この子の窮地も容易く推察出来ように、
救援の策を取らず人手も割かない探偵社なのに違いなく。

 “敦の異能力や行動力を認めているのが半分と、
  不法侵入やら何やら、不可抗力ながらも非合法行為を取らにゃあならない場合の
  時短奇策につきまとう危険性を思えば…ってぇのが半分だろうな。”

荒事専門の武装探偵社ではあるが、
それでもあまりに法から外れたことを為しては
軍警や内務省異能特務課の“お手伝い”が出来なくなろうから
そうそういつもいつも 後から出される辻褄合わせの令状や何やが追い着けないほどの非常識や
問答無用な非合法仕様の行動を取ってはいまい。
あくまでも さくさくと事態を収拾するための“奇策”を弄す場合でも、
いくら天才名探偵が弾き出した案であれ突貫であればあるほど成功率は危ういというものだろうし、
誰ぞの目に留まったり記憶に残ったりし、
いつぞや “猟犬発動”という最悪な事態を招いたよな、後々の憂いにつながりかねない。
中也としては そういう台所事情な裏書も把握しておればこそ、
何でまたあの連中から手放しでの大丈夫だろと見込まれた敦が
呆けたように此処にいるままなのかへ物申したくもなったらしく。

 「逃げ出しもせず、何をぐずぐずしてっかな。
  我慢強い手前だから こんな監禁なんて大した負担じゃねぇと思ってるのかもしんねえが、
  俺ぁ今 途轍もなく怒かってる。」

穏やかに苦笑しつつのような話しようにと思ったものの、
やはり抑え込めないものであるようで、
表情とは裏腹、トンと手を触れた鋼の格子が飴のようにくにゃりと曲がる。
中也の異能は重力操作だが、使いようによっちゃあ
金属相手でもベクトルの反発という作用を生じさせてのこと、
さして力みもしないで錬鉄でもへし折ったり粉砕したりがこなせるらしく。
とはいえ、そんな途轍もない仕業をあちこちでやらかす人ではない。
工具も重機も使わずにそんなことが出来る存在だって証拠を残してどうするか…なんて理屈は
こういう能力持ちなればこそ ようよう判っておいでだからで。

 だというのにこの有り様ということは?

さして難しい問題でもなくの、そのココロは

 “うわぁ、ホントに怒ってるんだ、中也さん…。”

寛大鷹揚なお人が、ついついその指先で発露させたお怒りへ、
疲れ切ってた筈のお顔をやや引きつらせた敦だが、
それへ続いたのが、

 「…つか、青鯖にまんまとつられたってのが癪だがよ。」
 「太宰さん?」

彼の現上司殿が何かして、その結果 此処での邂逅になったと言わんばかりな中也らしく。
その文脈がちゃんと通じておればこそ、ややぞんざいな訊き方で返せば、

 「奴らにしても “目的より方法を優先して突入”って格好の策が出せはしたろうが、
  向こうにゃ向こうの段取りがかかるらしい。
  相変わらず 頭数少ないってのがネックだよな。」

ネット経由でも口コミ経由でも、はたまた かつての真っ黒時代から残しているコネ経由でも、
太宰がよその組織を躍らせて操るという手もなくはないが、
そこまでやると 特務課の次官様は何とはなく飲んでくれても その手前で国木田あたりがお冠になろう。

 『泣く子も黙るポートマフィア様の癇に障って
  有無をも言わさぬ仕置きを受けたってかたちになるのが一番手っ取り早いんだよね。』

殺人も破壊も強奪も、強要も洗脳操心術も厭わないくせに、
厭らしさからか 業がらみだからか、
薬関係と人身売買だけは 親の仇みたいに嫌ってる森さんだしと。
何をか仄めかすように そんな言いようをし、
虎の子くんがもしかしたら何かへ遠慮して抜け出せないでいるかもしんないから、
そんないやらしい搦め手により窮状にあるのなら、私たちが強引に引っ張り出しても進歩しなかろ。
キミがやれやれとキミら流の策であっけらかんと突入した方が、囚われの姫も安堵しそうだし…なんて。
よく回る舌でぺらぺらと、
まあこんな繊細な機微を説いたとて、脳筋のキミには理解できないかもしれないがとの厭味で締めて。
勝手に通話を切った後、此処への地図を lineで送ってきた身勝手な元相棒は、
出来得る限りの黒服らを動員しての探査情報によれば、
いつもの砂色の長外套をひらめかせ、ヨコハマの夜陰の中へ消えてったらしく。

 「さあ、長居は無用だ。」

檻の中へと伸ばされた手が、忌々しい鎖を掴んでクシャリと粉砕し、
そのままぐいと引いて少年を引き寄せる。
やや弱っていたものか 立ち上がりかかってよたよたとしゃがみ込みかかるのを
そこまでの狼藉はどこへやらな柔らかさで 広げた双腕で受け止めてやり、
間近になった愛らしい白いお顔へ笑いかけてやって。

 「…あの、中也さん。」

周囲を見回す敦が何を言いたいかは判らんでもなく。
他の檻に閉じ込められている状態にある子らが何人かいて、
明らかに獣な仔はともかく敦同様 恐らくは見目に目を付けられたか人の子も何人か。
つまりはそんな競売を構えていた組織に取っ捕まってた彼なのであり、
慈悲を構えている場合じゃあないし
救出された身の自分が烏滸がましいかもと口ごもっただけのわきまえはあるらしい愛し子へ。
う〜んと唸って眉を寄せ、見るからに困った顔を作って見せたものの、

 「…ウチの首領も人身売買は毛嫌いなさるのでな。」

だからって毎回毎回 いい人な所業はしねぇからなと、
誰への言い分けなのなやら早口で言いつつ
引き寄せた少年の銀の髪へ自分がかぶってた帽子をやや荒くかぶせると、

 「……そら、とっとと出て来な。」

居並ぶ檻へ手のひらを向ければ、
戸口に咬まされてあった錠前が次々とはじけ飛び、
ご丁寧にもそれぞれの扉がきいと軋んで表へ開いてゆく。
他の虜囚らも、失意のせいかそれとも暴れないように処置をされてでもいたか
あまり元気ではなさそうだったその上、
中也が降りて来た短いステップの向こうに複数がかりらしい足音がして、
ああ遅ればせながら略取犯の一味が駆け付けたのかと怯えたものの。

 「手を付けるからには半端はしねぇよ。
  此処の連中が駆け付けたんなら
  格の違いや誰を怒らせたのかを思い知らせるためにも叩きのめすまでだしな。」

中也の言いようを裏付けるように、
次々に地下収納へと駆けおりて来たのは敦には覚えのある黒服姿の人々で、
名前まで知っている、中也の懐刀役の男性もやって来ており、

 「佐伯さん。」
 「やあ敦くん、災難だったねぇ。」

折り目正しい立ち居の彼にはすでに馴染んでいたその上へ、
中也が付け足したのが、

「表にゃあ人払い役にって芥川が待機してるからな。
「そうそう、いつもの無表情でしたが、羅生門の冴えた切れ味が半端なかったからあれは怒ってますね、」

という、マフィア主従のおっかないんだかコミカルなんだかな掛け合いに唖然とさせられ、

 「腹も減ってようから、ウチで夜食を馳走するぞ。」

だからゆっくり休めと、
やっとのこと、いつものお顔でにんまり笑ってもらったので。
覚束ない灯火の下でも励ましには十分だったよで、
やつれかけてた虎の少年の幼いお顔もつられたようにほころんだのだった。



to be continued.(19.10.29.〜)


NEXT


 *作中で使わせていただいたのは、あまりに有名な中原中也氏の作品で、
  『山羊の歌』より引用。
  ちらとだけ使わせていただきましたが きっと著作権の問題等あるのでしょうね。
  ところで検索掛けたら一世風靡セピアの方がヒットしたのに笑かしていただきました。
  『男塾』では虎ちゃんが好きやったvv (敦くんとは一ミリもかぶらないキャラですが。)